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Interview

伊福部 達(いふくべ とおる) 氏
北海道大学工学部電子工学科卒業、北海道大学大学院工学研究科修士課程修了、北海道大学応用電気研究所助手、スタンフォード大学客員助教授、北海道大学電子科学研究所教授などを経て、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、北海道大学名誉教授

福祉工学が目指す方向

超高齢化社会の新たな技術

伊福部 達(いふくべ とおる) 氏
北海道大学工学部電子工学科卒業、北海道大学大学院工学研究科修士課程修了、北海道大学応用電気研究所助手、スタンフォード大学客員助教授、北海道大学電子科学研究所教授などを経て、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、北海道大学名誉教授
1.福祉工学とは?

過去に医療工学の研究室に所属していたとき、「医療の力では克服できず、障害が残ってしまう人々がいる」という課題に直面しました。これらの課題を解決するために、福祉工学(ジェロントロジー)の観点から、障害を持っていても人々が快適な社会生活を送れるような技術・システム作りに長年携わってきました。従来の医療工学では、生命維持を目的として、「人間を改造する」(体自体を変化させる)ことがおこなわれています。その一方で、福祉工学の分野では、「人間を改造しない」(体自体は変化させない)ことを前提として、さまざまな技術をもちいて生活機能や身体機能を支援していくことを目指しています。以上の医療工学と福祉工学を比較すると、医療工学は年数を追うごとに進化してきていますが、福祉工学の分野は残念ながらなかなか育っていません。

なぜ福祉工学の分野は育っていないかと言うと、2つの要因が考えられます。最初に、福祉工学の基礎となる科学が曖昧であるため、研究者が手を出せないでいるという現状が挙げられます。障害を支援しようとするときは、多くの場合未知のことにぶつかってしまい(補聴器支援における脳の聴覚メカニズムなど)、そこで止まってしまうことがよくあります。さらに2つ目の理由として、仮に支援技術が上手く開発できたとしても、対象となる市場が小さく売れないため、企業が手を出しにくいという点があります。このようにモノが売れないためにさらに高価格になり、結果的に購買意欲を引き下げるという悪循環が生まれており、福祉工学の産業分野が発展してない主要な要因の一つとなっています。

このように福祉工学の発展には問題がある一方で、日本の高齢者はますます増えており、福祉工学にもとづいた支援を必要とする人は今後も増加することが予想されます。そこで現在ではこれらの状況を打破するため、国が大規模な研究プロジェクトを開始しています。世界的に高齢化が進展しているなかで、先駆者となる日本が高齢者を支援する技術開発に成功すれば、この技術は海外に輸出できる日本の基幹産業として発展していく可能性を秘めています。


2.福祉工学の目指す方向

高齢者とは何かを考えていくうえで、「高齢障害者」と「元気高齢者」という分類が参考になります。高齢障害者は介護やリハビリを必要とする高齢者であり、介護場面において高齢障害者のQOL(Quality of Life)を向上したり、介護者の介護負担を軽減することが求められています。福祉工学では、このような高齢障害者のQOL向上や介護の負担軽減を支援する技術・システムを開発しており、さらには高齢障害者が元気高齢者に移行していくことを目指しています。元気高齢者とは、就労が可能な高齢者のことを意味しており、実際に元気高齢者の70%は社会参加を希望しているというデータがあります。元気高齢者の希望に沿って社会参画や就労を支援することで、高齢者の労働力が増加し、同時に消費者としても新たなニーズを生むことが期待されます。これらのニーズは新たな産業を創出し、さらなる労働力の増加へとつながるでしょう。また、以上の高齢者の社会参加は、年金や納税などの財政的課題を軽減するという側面もあわせ持っています。

障害者の区分のなかでも、「若年障害者」と「高齢障害者」の間にはさまざまな違いがあります。若年障害者はある機能が損なわれても、ほかの機能で補う能力(代償機能、適応力)があります。たとえば、手の機能が衰えても、足の機能で補うことができるケースが挙げられます。それに対して、高齢障害者の場合はある機能が損なわれたときにほかの機能で補うことが困難になる場合が多く、生物学ではこのような代償機能は年をとるにつれて低下することが示されています。ただし、高齢障害者は若年障害者と比較して知識・経験が豊富であり、この経験力を活かすことが必要です。以上にみられるように、福祉工学では若年障害者の代償機能を維持し、高齢障害者の経験力を活かすための技術・サービスを提供することを目指しています。

福祉工学を発展させていくうえで重要な理論となるのが、「サイバネティクス」という考え方です。サイバネティクスとはノーバート・ウィナーによって提唱された概念で、自動機械は「計測」・「処理」・「制御」という3つの要素からなっており、これらの3つの要素を「情報」が循環して結びつけているという考え方です。ウィナーはこのシステムが自動機械だけでなく、動物や人間にも応用可能であることを指摘しており、サイバネティクスの考え方は福祉工学をふくめてさまざまな分野に影響を与えています。私の研究プロジェクトでは、サイバネティクスの「計測」・「処理」・「制御」というシステムを、人間の「感覚(計測)」・「脳(処理)」・「運動(制御)」という3つの要素に置き換え、各要素のダイナミクスという観点から高齢者の変化を捉えていくことを目的としています。


3.福祉工学の技術開発

世界的に高齢者が増えていくなかで、ICT(Information Communication Technology; 情報通信技術)やIRT(Information and Robot Technology; 情報ロボット技術)が発達しています。これらの新しい産業は大きく発展する余地がありますが、福祉工学の技術開発は「公益性は高い」ものの、「市場性は低い」という特徴があります。つまり、人の命はお金に代えることはできず、福祉工学の技術は社会一般に役に立ちますが(公益性は高い)、対象となる障害支援の範囲は多岐にわたっており、それぞれの市場そのものは小さく利益が出にくい(市場性は低い)ということが指摘できます。したがって、企業が福祉工学の技術を開発する際は、市場性をカバーするために国がある程度の支援をおこなうことが望ましいと考えられます。現在でも、個人が要介護状態のなったときに国から補助金を得られるシステムは存在しますが(家をバリアフリー化するときなど)、高齢者個人への支援を充実させるだけでなく、企業の新しい技術開発の試みにも国が支援していく必要があります。ただし、もちろんすべてを国が負担するわけではなく、最初の立ち上げを支援して軌道に乗ったら企業に一任するなど、支援の内容・程度についてはこれから検討していく課題となるでしょう。

元気高齢者が現在の状態を維持するなど、最終的には高齢者に安心感を与えることが重要になると考えられます。高齢者に安心感を与える一つの福祉工学の技術として、体に身につけて状態を監視する「モニタリングシステム」が開発されています。たとえば、脳梗塞になったときにその情報をいち早く知らせるなど、モニタリングシステムを使用すると万が一のときに何か対策をすることができます。このシステムは高齢障害者の健康状態を伝えるだけでなく、元気高齢者が社会に出て働いているときに「危ない」という警報を発信することも可能になります。このようなモニタリングシステムのマーケットは大きく、社会からの需要も大きいのですが、なかなか実用段階では成功していません。その理由として、センサーなどの情報技術は発達しているのですが、実際にそのデータをあつかえる人がいないということが挙げられます。病院のスタッフはさまざまな職務で忙しいなか、体の情報をモニタリングしても診療報酬にはならないため、現状ではモニタリングシステムの受け手がいません。これらの状況を改善するために、医療制度などを改善していくことが求められます。

4.社会貢献プロジェクト

高齢社会の課題が浮き彫りになるなかで、それに向けたビジネスの機会を探っていきたいという企業も多くあります。これらの企業を集め、高齢社会に向けた社会のシステム作りに貢献するためのプロジェクト(HIP; Healthcare Innovation Project)を2011年に立ち上げました。現在、幅広い業種の23社が参加しており、ビジネスモデルを構築することを目的として情報共有や議論をおこなっています。たとえば、私自身の知識や経験談をお話しして、それを踏まえてどのように成功モデルを作っていくかを議論しています。また、各企業の方には色々なビジネスモデルを考案してもらい、それを修正していくというやり方をしています。現在はまだ勉強会の段階にとどまっていますが、こうした企業間のネットワークにおいても、既存の問題点の指摘にとどまらず、具体的な新しいサービスや社会システムを展開していくことがこれから必要となるでしょう。